古今東西戦史研究室

洋の東西を問わず(と言いたいけど日本関連が多い)古今(あと未来もつまりガンダムね)の戦史(ミリタリー関連も)や日本史を研究しています。あくまで独断と偏見なのでご了承願います。あと日常で思った事も掲載します。

日本史

応仁の乱⑫天皇の苦悩

京都という市街地での戦闘を少しでも有利にするため両軍がこぞって家々に火を放った事で都は灰燼に帰しました。公家は戦火を避けて地方へ疎開しました。自領に向かう者もいれば大内氏などの大大名の庇護を受ける者もいました。しかし、天皇はそうはいきませ…

応仁の乱⑪天皇の奮戦

今年は近代以降初めてとなる上皇が誕生した年ですが、ある弁護士の先生が天皇は平安時代が終わってからは存在感が無かったみたいな発言をされてました。確かに鎌倉時代から江戸時代にかけて現役の天皇が歴史を賑やかせた事例って後醍醐天皇だけです。念のた…

応仁の乱⑩西軍の幕府

大内政弘の増援で意気が上がった西軍ですが将軍を東軍に押さえられているという不利は否めず将軍の敵となってしまったというプレッシャーは諸将にとって大きなストレスとなっていました。しかし、西軍諸将はそう簡単に引き下がるわけにはいきませんでした。…

応仁の乱⑨相国寺の戦い

大内周防介政弘は1446年に大内教弘の嫡男として生まれました。幼名は亀童丸。19歳で家督を継ぎます。大内氏は細川氏と日明貿易の主導権を巡って対立しており政弘が西軍として参戦したのも貿易の独占が目的でした。当時の貿易船は幕府と細川氏と大内氏の3隻で…

応仁の乱⑧拡大する戦火

畠山政長を討ち細川勝元を失脚させた事で山名宗全らは浮かれてしまっていましたが、勝元は政長を自邸に匿いながらその政長を含めた自派の大名と密かに挽回策を練っていました。まずは山名方の大名の領国に侵攻して京都への増援を阻止する、その隙に大軍を速…

応仁の乱⑦御霊合戦

文正の政変で伊勢貞親を放逐した事によって共通の敵を失った山名派と細川派の対立は深刻化していきました。すでに畠山家と斯波家で内紛が勃発している以上、平和裏に解決するのは不可能でした。唯一、可能性があるとしたら将軍義政による調停で実際に戦端が…

応仁の乱⑥文正の政変

将軍義政には深刻な悩みがありました。結婚して10年が経つのに未だに男子に恵まれなかったのです。そこで義政は一計を案じます。弟で出家の義尋を還俗させて後継者にする事です。当初は固辞していたという義視ですが、再三の要請についに承諾しました。勝手…

応仁の乱⑤斯波氏の内紛

斯波氏は足利尾張守家が前身で幕府の創業の功臣である足利高経の四男斯波義将が執事に任じられ高経が後見するという形で細川氏と斯波氏が管領に就任する体制ができました。後で畠山氏が加わって三管領となります。 執事の義将をなぜ高経が後見するかと言うと…

応仁の乱④金吾家→総州家vs尾州家

畠山氏は足利義純が畠山重忠の未亡人と結婚した事で平姓から源姓に移行しました。名門畠山氏の名跡を継いだという事で斯波氏に次ぐ待遇を足利宗家より受けます。嫡流は観応の擾乱で奥州に追いやられ二本松氏として零落し、庶流が取って代わって管領となりま…

応仁の乱③将軍義政

足利義政は将軍義教の五男として生まれました(1436)。幼名は三春。兄の義勝が病死した事で8歳で足利家の家督を継ぎました。1446年に後花園天皇の命名で義成と名乗りました。将軍になったのは3年後で前将軍の死から6年が過ぎての就任でした。義政と名乗ったの…

応仁の乱②細川勝元(1430〜1473)と山名宗全(1404〜1473)

細川勝元は持之の嫡男として生まれました。幼名は聡明丸。13歳で家督を継いで将軍義勝から一字を賜って勝元と名乗りました。少し早ければ教元に遅ければ政元になってたんでしょうね。13歳なので叔父さんが後見しました。16歳で管領に就任して以後辞任と就任…

応仁の乱①

昔は戦国時代がいつから始まったかと言ったら応仁の乱とされていました。この乱で秩序が崩壊して乱世の時代が到来したと。かなり有名な乱で名前くらいなら知っている人も多いでしょうがその詳細を知っている人は少ないと思います。将軍家と管領家の内紛と実…

上皇②

今回新たに特例として設けられた上皇の称号ですが、政府はその英語表記に頭を悩ませたそうです。というのもただ引退した君主なら『Retired Emperor』になるんですが、それではご隠居という意味になってしまいます。実質ご隠居なんですが日本の場合は天皇とい…

上皇①

今年は天皇が退位されて上皇になられるそうなので今回は上皇について語りたいと思います。 上皇と言えば院政ですが、上皇になった人がすべて院政していたわけではありません。天皇を引退したら上皇なのでその全員が院政してたら混乱しちゃいますよね。なぜ院…

守護大名と戦国大名

大名とは大きい名主という意味で武家社会では大きい所領と多くの家来を持った領主を指します。対してちっちゃい土地しかない領主を小名と言います。その定義は曖昧で江戸時代は一万石以上の領主を大名としていましたが武家諸法度には五万石以下の小名という…

戦国時代②

足利幕府がグラグラになって戦争抑止力がガクンと低下すると各地で紛争が頻発するようになりました。お殿様クラスなら戦う理由は領土の拡大、その家来の武士なら手柄を立てて恩賞をもらう、末端の兵士なら略奪となります。 戦争には必ず始まるには理由があり…

戦国時代①

戦国時代は始まりがいつか諸説があります。昔は応仁の乱が始まりというのが一般的だったかと思いますが、近年では明応の政変というのが有力みたいです。他にも伊勢宗瑞の伊豆侵攻からという説も聞いた事があります。 それはさておいといて、戦国時代というか…