古今東西戦史研究室

洋の東西を問わず(と言いたいけど日本関連が多い)古今(あと未来もつまりガンダムね)の戦史(ミリタリー関連も)や日本史を研究しています。あくまで独断と偏見なのでご了承願います。あと日常で思った事も掲載します。

戦国時代②

足利幕府がグラグラになって戦争抑止力がガクンと低下すると各地で紛争が頻発するようになりました。お殿様クラスなら戦う理由は領土の拡大、その家来の武士なら手柄を立てて恩賞をもらう、末端の兵士なら略奪となります。

戦争には必ず始まるには理由があります。いくら戦国時代だからといって思いつきで戦争が始まるわけではありません。戦う理由は前述したとおりですが、末端の兵士の略奪というのはどういう理由か。末端の兵士とは足軽や雑兵と呼ばれた人たちです。織豊政権の前は兵農未分離で戦に百姓が駆り出されたとされていますが実際は村々から動員したのは事実ですがそれは百姓ではありませんでした。

村々にとって若者は大事な働き手です。それが戦争のたびに駆り出されたのでは農作業などできません。そこで平素から兵隊となる人員を囲って動員がかかると差し出したのです。村にとっては員数外なので戦死したとしても大した損害にはなりません。こうした村の余剰人員は自分が生きていくにはまず他者から奪う必要がありました。それが略奪でありこの時代に戦争が頻発したのも大名が略奪の機会を与えてやるためでした。戦国時代以前は農繁期に戦はしなかったとも言われてましたが実際には農繁期・農閑期関係なしに戦は起きていました。

さて、村々の余剰人員はどうして発生したか。いくら働き手を取られたくないからって代わりに差し出す人員が無ければ領主の求めに応じて貴重な人材を提供しなければなりません。もっとも当時は村単位で武装していたので一方的に人材を取られたわけではありませんでしたが。その代わりの人材をどう確保したか。さぞかし確保に苦労しただろうと思われるでしょうが、この時代はどの村でも余剰な人材は売るほどいました。

実はこの時代は世界的な寒冷期で食糧が不足していました。どこの土地も食料に困っていてそのために略奪のための戦争が起きたのです。そして食料不足は常に村々に余剰な人員を生じさせ、それらは生きていくために兵隊となりました。戦国時代に戦争が相次いだのは軍隊を構成する兵隊の確保に困らなかったからです。織田信長が周囲を敵に囲まれながらも敗北しなかったのは彼が大都市圏を支配していて兵隊の補充が容易だったからです。

信長はその損害回復能力で強敵との死闘を勝ち抜き、彼の後を受け継いだ豊臣秀吉によって戦乱の原因となっていた自力救済は否定され、さらにその後を受け継いだ足利幕府とはえらい違う強大な軍事力を保持した徳川幕府によって日本はようやくにして平和な時代を迎えたのでした。