古今東西戦史研究室

洋の東西を問わず(と言いたいけど日本関連が多い)古今(あと未来もつまりガンダムね)の戦史(ミリタリー関連も)や日本史を研究しています。あくまで独断と偏見なのでご了承願います。あと日常で思った事も掲載します。

2019-05-01から1ヶ月間の記事一覧

応仁の乱⑪天皇の奮戦

今年は近代以降初めてとなる上皇が誕生した年ですが、ある弁護士の先生が天皇は平安時代が終わってからは存在感が無かったみたいな発言をされてました。確かに鎌倉時代から江戸時代にかけて現役の天皇が歴史を賑やかせた事例って後醍醐天皇だけです。念のた…

応仁の乱⑩西軍の幕府

大内政弘の増援で意気が上がった西軍ですが将軍を東軍に押さえられているという不利は否めず将軍の敵となってしまったというプレッシャーは諸将にとって大きなストレスとなっていました。しかし、西軍諸将はそう簡単に引き下がるわけにはいきませんでした。…

応仁の乱⑨相国寺の戦い

大内周防介政弘は1446年に大内教弘の嫡男として生まれました。幼名は亀童丸。19歳で家督を継ぎます。大内氏は細川氏と日明貿易の主導権を巡って対立しており政弘が西軍として参戦したのも貿易の独占が目的でした。当時の貿易船は幕府と細川氏と大内氏の3隻で…

応仁の乱⑧拡大する戦火

畠山政長を討ち細川勝元を失脚させた事で山名宗全らは浮かれてしまっていましたが、勝元は政長を自邸に匿いながらその政長を含めた自派の大名と密かに挽回策を練っていました。まずは山名方の大名の領国に侵攻して京都への増援を阻止する、その隙に大軍を速…